昨日は「成人の日」であった。
この日を境に、公にアルコール摂取をする若者などがメディアに映ることが少なくないが、日本の文化はこれで本当に良いのだろうか?
そもそも、この「成人の日」というのは国が定めたものであり、この日を境に「子供が大人になる」や「大人としての自覚や責任をもつ」などの意識の変化が本当に起こるのだろうか。
再認識はできても、「完全に大人になることは不可能である」というのが個人的な見解である。
この「子供から大人の境」に関する番組が、昨日のNHKの番組で行われていた。
僕の大好きな番組のひとつである、「爆笑問題のニッポンの教養」である。
以下、上記番組内で論議されていた内容の覚書。
■「大人になるとは何か?」
・これが青春かと考える暇もないくらい、青春はものすごい早さで過ぎるものである。(立花隆)
・他人の力を借りなければならないことに気付くまでが子供だった。(糸井重里)
・後輩にお年玉をあげる瞬間。(矢口真里)
・大人になった実感がない。(田中祐二)
・何かと分かれない限り、大人になれない。(太田光)
大体こんなことを序盤は話していたというメモがありますw
途中から熱が入って、誰が言ったのかをメモしきれていないのですが、僕が強く共感した文章があります。
それも以下に記載します。
・「自立したい。一人になりたい。」という欲望が出た瞬間。それが大人への変換期。
・子供ができると、自分もおいしいと感じるものを我慢して子供に食べさせてもおいしく感じる。つまり、自分が我慢することで他人を面白がらせることが面白く感じるようになること。
・如何に肉を分けるか。これに面白みを感じれるようになること。
また、番組の最後に、
「二十歳で大人にはなれない。もし、二十歳で大人になれたとしたら、そんな人生ほどつまらないものは、ない。」
とまで明言している。
なんというNHKらしからぬ、NHKらしさw
しかし、毎年成人の日には新成人とやらが悪さをするなぁ。
自覚とか責任とか、そのとおりに再認識している人まで偏見の目で世間にさらされることにもなってるのだから。
さて、そんなことはどうでもいいのだが、問題は僕である。
僕は現在22歳だが、果たして現在大人なのであろうか。
僕の中の答えは、否である。
そう簡単に大人という枠に囚われたくありませんよ。
僕の中のイメージとして、子供から大人になるというのは一方通行ではなくて、自由に行き来できるものだと思う。
しかして、子供の過程(?)のようなものを100%理解したから大人になれるのではなく、まだまだ子供と大人の半分も理解できてないから、自由に行き来するのです。
つまり、僕の中に「大人の階段のぼる」なんて言葉はありません。
大人が子供より凄いなんてこれっぽっちも思っていない。
大人には責任というものがのしかかるが、これは大人にしかできないこと。
子供は感性という点では縛られることなく、自由に発想する。
しかし、常識と呼ばれるものが身につき始めると、なかなか自由に発想することができない。
大人にプラスの面とマイナスの面があるように、子供にもプラスマイナスがあるのですよ。
朝から少し熱くなってしまったw
今日はタオにでも行こうかね。
2009年01月13日
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